Claude Code がすべてのコードを書いてくれるようになってから3週間が経った。とはいえ、空いた時間はすべてコーディング以外の別の労働に充てていたのだからつくづく奴隷根性が染み付いている。
しかし確実に世界は一変してしまった。2ヶ月前はこんなにも劇的に自分が変わるなんて想像してなかったし、なんだかんだ言いながらコードを来年も書き続けるんだろうと思っていた。けど年が明けて Opus 4.6 が出た辺りから、完全にその想定が崩れた。その今までとは比にならない知的能力。誰が運転席に座るべきかは明らかだった。
コードを自分で書く必要はもうない。技術選定もAIが star やドキュメントを見て勝手にやるだろう。そして選ばれた OSS をメンテナンスするのもちろん AI だ。ドキュメントもテストもコードもブログ記事もプレゼン資料も Slack の返信さえも AI が書く時代で、人間は AI の主人、メインパイロットから、加速していくRalph Loop の中で単なるボトルネックに過ぎない存在となり、今静かに退場させられようとしている。ただ生きてチケットを消化しているだけで技術的負債を生み続ける脆弱な人間より、圧倒的な理解能力と無限の体力、そして破格の月給でもってコードを生成し続ける AI のほうが比較にならないほど優れている。そのことにエンジニア以外が気づくまでの残り時間は刻々と迫っている。そして私たちは波間にただよう小舟みたいに、新技術への期待と失職の不安の中で揺れている。
失職こそすぐにしないだろうけど、これからソフトウェアエンジニアとして雇用されてコードを書く、という営みの枕詞には必ず、AI を使って、というフレーズが入るはずだ。でも既にこの数週間で感じていることだけど、コーディングとか調査を全て AI に委ねていると、これまで鍛えてきた脳の何かの回路が鈍ってくような感じがする。単純にそれだけ自分で考えたり書いたりする時間が減るんだから当然だけど。
コードこそ書いてくれるようになったけど、まだ業務のすべてを AI に委ねられるわけもなく、例えば、人間同士で話してて、設計について何かを言わなきゃいけないときに、直感的に筋の良い方向が見えてすぐ打ち返せる、みたいなのが技術的なセンスを鍛えることのメリットではあると思う。ある種の直感力を養うことというか。
でも、そういう感性はある程度手を動かしてトライアンドエラーしないと得られないし、維持もできないのでは、と思ってしまう。設計の良し悪しをすぐに判断できるのは、過去に自分の書いたコードや失敗の蓄積があるからで、AI が書いたコードを読むだけでは同じ密度の体験は得られないはずだ。でも、そんなスキルは要らなくなる日もすぐ来るんだろうか?その時もまだ人間はループの中にいることを許されるんだろうか?