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私と親の関係は良いとは言えない。が、もちろん産まれたときから悪かったわけではない。
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大抵の仲の良くない親子がそうであるように、まず私(息子)が親とコミュニケーションを取らなくなり、その後色々な事件があって細かく揉めることを繰り返すうちに、時間をかけて、お互いがお互いにどう接していたか忘れていった。その結果、会話が生じなくなった。
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その後、私が実家を離れたことで、この関係が完全に固定化した。私は親とのコミュニケーションに、今も負の印象があり、交流を深めたいとあまり思っていない。また、そうなるイメージも持てない。このままの関係が続くなら別にそれでいい。
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この間電話で親と話す機会があった。
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その時話されたのは妹のことだった。
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妹は10年前、親のクレジットカードで100万円ほど服を購入し、しかも一回バレた後にもう一回それを繰り返したことで、激怒した父親に家を追い出されることになった。その後、妹は相続放棄することになったという話を父親から聞いた(そんなことが法律上可能なのかは謎だ)。要は親は妹に勘当を宣告した。
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実は、私は深くその辺りの事情を知らない。しかし私の知ってる限りの情報だと、果たして絶縁するレベルの話だったのかどうかは疑問だ。たかだか100万勝手に使われた程度で絶縁するのは正当か?親と妹はどういうコミュニケーションをして、どういう経緯で絶縁に至ったのか?本当に絶縁するしかなかったのか?
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私がこの事情についてよく理解していないのは、一緒に住んでいながら、親と妹どちらともコミュニケーションを取っていなかったからだ。
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その頃、私は完全に引きこもり状態に突入しており、日中は自室でひたすら寝るのが常態化していて、誰ともほぼ会話していなかった。つまり、私は家庭のことを全く無視しており、親のことも妹のことも考えずに、毎日死にたいと思っていた。
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その後私は家を出た。妹とちょくちょく LINE でやり取りをするようになった。
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妹は高円寺に住んでいた。歯科助手とかスナックのバイトの傍ら「被写体」をしていて Twitter で知り合った友達がいる、と言っていた。被写体とは写真のモデルだった。そういうモデルとそれを性的に消費する男性の界隈があるようだった。妹は更に、これも Twitter で知り合ったという、ドラッグで前科持ちの男性と同棲していた。一回妹の家で3人で鍋を食べたことがある。彼は長髪で、おとなしい感じで、挙動不審だった。その後彼から LINE でアヤワスカか何かのことについてメッセージが来たが、その日本語はかなり怪しかった。
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その頃、私は妹は自由を手に入れたのだと思っていた。きっかけはどうあれ、家族の影響下から離れて自分のやりたいことを見つけ、自分の人生を生きているのだと。ときどき親への怒りを口にすることもあったが、私にはエネルギッシュに生きているように見えていた。
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その後妹は彼氏と別れた。彼氏はストーカーのようになって、Twitter アカウントを立ち上げて粘着したり、現実世界でも嫌がらせをやったらしい。この頃、私は鬱期で、例によって連絡を取っていないので正確ではないかもしれないが、後で聞いた話から考えると、おそらくそのせいで妹は転居せざるをえなくなった。さらにその時、新居の保証人として、スナックで働いていた頃に出会った「おじさん」を頼り、かつその「おじさん」に生活費を援助してもらう、という関係が始まった。この辺りで徐々に歯車が狂っていったのだと思う。
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私は就職し、人生が少しづつよい方向に回り始めた。
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ある時、突然妹から、アルコール依存症で入院することになったから、入院の保証人になってほしい、という連絡が来た。仰天したが、話を聞いて、上に書いたような事情をおぼろげに把握した。保証人になることを了承し、ちょくちょく連絡を取るようになった。私は妹の置かれた状況に同情したが、一方で「おじさん」に経済的に依存している状況はひどく危険なのではないかと思った。私は私の成功体験から、妹もまた仕事を見つけて働くべきだ、と考えた。実際にそうも言った。多分その頃、妹は27か28だった。
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それからしばらくして、2年前、妹から人生を変えたい、という趣旨の LINE が来た。私は妹と対面で会うことにした。妹は人生が行き詰まっており、苦痛だと言った。私は私にできることをしようと思った。親は妹をいわば一方的に棄てた。私がやらなければいけないと思った。私は高円寺まで行って、部屋の片付けを手伝った。妹の部屋には大量の洋服があった。1階とロフト、体積の大半が洋服とかガラクタで埋まっていた。2日かけて、一緒にガラクタを棄てたり洋服をまとめたりして、床が見えるところまで綺麗にした。
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私は妹に働いてほしいと思っている、ということを言った。妹は精神的な問題があって、治療しており、今は無理だ、という趣旨のことを言った。しかし、私は妹がもう何年も同じ状況にあることを知っていた。私は私の成功体験から、ある種の気分は行動を回避して安静にするより、むしろ行動を開始することによってしか前向きにならない、と考えていた。妹は結局、かつての自分のように、社会に出るのが怖くて、それを回避しているだけなのではないか、と思った。
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更に、親のせいにしていてはいけない、と言った。親に激しく問題はあったのは事実だが、いつまでも全てを親のせいにしていても事態は前進しない。ある年齢からは人生の責任は自分で負わなければならない。
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こんなことは言うべきではなかったのかもしれない。
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私は行動を開始するべきだと思う、と言った。もし嫌でなければ、自分が勤めてる会社のバックオフィスに紹介もする、と言った。そのために話も通していた。しかし、妹からの連絡は途絶えた。
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数ヶ月して妹から連絡があった。「おじさん」と揉め、「おじさん」が賃貸の保証人をやめることになった、ついては自分に保証人になってくれないか、という連絡だった。
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私は腹が立った。こういう状況になったのは妹自身のせいだと思った。何年も前から予測できていた事態で、これに備えるためにこそ自活しなければならない、ということを言っていたつもりだった。私は保証人を断った。妹は感情的なメッセージを送信し、私は沈黙した。
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一度、いつだったかは忘れたが、妹から私の住んでいたシェアハウスに住めないか、と打診されたことがあった。私はそれを拒否した。個室の空きがなかったこともあるが、何よりも一緒に住みたくないと思った。当時の私は家賃を半年ぐらい滞納していて、荒れ放題の部屋に引きこもっている最悪の状態だった。他人の面倒を見れる状態ではなかったし、そういう有様を見られたくなかった。
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しかし、その後私はそれをすごく後悔した。私は妹にとって最後の頼みの綱だったかもしれない。それを手前勝手な都合で拒否することで、妹の人生を悪い方向に進めることに、私は加担したのだ。
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同じ過ちを犯したと思った。
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それから1年と少し経って、親から連絡があった。
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妹から、生活保護を申請することになるかもしれず、ついては連絡が来るかもしれないので備えておくように、という連絡が来た、という内容だった。助けを求めている内容なのは明白だった。何か妹について知っていることはないか、と聞かれた。
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私はもう何を言えばいいか分からなかった。妹は確かにひどい状態にあり、そして私は間違いを犯した。しかしその全てを共有するには、親はあまりにも信用できない相手だった。